光をあててくれた先生の話
長男は小さい頃から「おとなしい」「泣き虫」「おっとり」っていうラベルを貼られることが多い子供でした。
特に幼稚園に入ると、そのラベルの量はどんどん増えていきました。お母さんたち、先生たち、そしてお友達から、ペタペタと貼られていくラベルは、やっぱり「おとなしい」「泣き虫」「おっとり」が大半を占めました。
運動がずば抜けてできるわけでもない。工作が上手にできるわけでもない。ダンスや歌が得意でもない。だから特に目立たない。
でも実は頑固者で、努力家で、周りをよくみていることを、わたしたち親は知ってる。できないことが悔しくて、こつこつ練習して、できるようになる姿をわたしたちはみてる。
縄跳びが跳べるようになったり、自転車に乗れるようになったり。
その姿をみて、わたしたちは一緒に大喜びするけど、「みてみて、できるようになったんだよ!」と言っても、そんなの周りはとっくにできていたから気にもとめられない。それどころかどんどん先に進んでる。早生まれ第一子男子の宿命、と言われました。そうならないように「こうしてみたら?」というアドバイスもされました。
ずーっとそんな感じ。それでも、わたしたちさえわかっていればそれでいいって思ってました。ぺりぺりとラベルを剥がしながら。
小学校に入ると、さらにその傾向は強くなりました。やんちゃでもないし、足が速いわけでもない、勉強がものすごくできるわけでもない、特に目立たない。学校っていう場所がそういうもんだというのは、自分の体験をとおして嫌というほどわかっているから、まあ特に期待もしません。引き続き、わたしたちがわかっていればいいという気持ちでいました。
そんな学校生活がガラッと変わったのが2年生のとき。担任は、新任の女の先生でした。「あれ?今までと感じが違うぞ?」と思ったのは最初の個人面談のとき。
こんなことをわたしたち以外の誰かの口から聞く日がくるとは、ゆめにも思わなかった。胸熱ですよ。思わず泣きそうになっちゃったのを、今でもよく覚えてます。
今まで誰も光をあててくれなかったし、もうそれに慣れっこになってたけれど、こうやってみててくれる人がいるんだなぁ。努力を認めてくれる人がいるんだなぁ。長男にとって、この先生との出会いはまさに転機だったと思います。
突然バシバシ発言ができるようになるとか、突然クラスの人気者になるとか、そんな劇的な変化があったわけではありません。でも、イベントのときの司会者に立候補してみるとか、発表会の楽器決めでやったことのない楽器に立候補してみるとか、そういう小さいようで大きな変化がいくつもありました。その変化をわたしたち以上に大きなものと捉えて、大喜びしてくれたのが担任の先生でした。連絡帳にびっしりと書かれていたり、電話がかかってきたり。学校で会ったときに呼び止められて、こんなことがあった、あんなことがあったと話してくれたり。ご褒美のような1年間でした。
この先生のおかげで、長男は自信をもつことができたと思っています。クラスが変わってからも、学校で顔を合わせるたびに、「大きくなりましたね!」「聞きましたよ〜すごいじゃないですか!」「こないだね…」と声をかけてくれる。もちろん長男に対しても、しょっちゅう声をかけてくれるそうです。
新任だった先生も、今年で5年目。春の異動でもしかしたら転任になるかもしれません。できることなら、卒業まで見届けてもらいたい。
わたしたちは、知らずしらずのうちに、ラベルを貼り、貼られているのかもしれません。それは仕方のないことかもしれない。だからこそ、ぴかぴかのラベルを貼ってくれた先生に、心から感謝しています。ありがとうってちゃんと伝えたいなと思います。
おわりに
わたしたちさえわかっていればいいと思っていたし、今でも基本的には同じ気持ちです。でもやっぱり子供たちには、わたしたち以外にも光をあててくれる存在が必要だなと思う。
友達だったり、先生だったり、コーチだったり、近所のおじちゃんおばちゃんだったり。
おおげさなものじゃなくてよくて、「みてるよ」「がんばってるね」「大きくなったね」「すごいじゃん」そんな一言がどれだけ力になるか。しかも、そうやって集めた光は、大事にすれば自分の中にためておける。
わたしはこの先生から、そして先生との出会いで成長した長男の姿から、そのことを学びました。そして、わたしも誰かに光をあてられる人になろう、なりたいなと思うようになりました。でっかいことはできないけどね!
おしまい。
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