読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がんばる小学生

サッカー少年の家庭学習と本の記録

長男が2週間ほぼ毎日いわれなき中傷を受けていたことがわかった

f:id:gambaruko:20151119121638p:plain

ご近所に、とんでもないトラブルメーカーが住んでいた。夫婦と子ども2人の4人暮らしだったその家族のうち、母親が特におかしかった。表面上は、物腰もやわらかく、上品で、素敵な人にしかみえない。いわゆる「いい人」だった。

 

最初はわたしも彼女を姉のような気持ちで慕い、お互いの家を行き来しながらいろんなことを語りあっていた。読書の趣味も重なるところがあったし、子どもの年齢が同じだったこともあって、傍目には仲良くみえただろうと思う。

 

ただ、時折、「あれ?変だな」と思うことがあった。子ども同士のよくある小競り合いで、彼女の子どもが暴言を吐いたり暴れたりした場合、つまり彼女の子どもが何かしでかした場合、そのことを報告すると、必ずしばらくの間よそよそしくなるのだ。事の大小はあったけれど、そういうことが重なり、だんだんとわたしから距離をおくようになった。彼女とだけでなく、彼女を含めて交流のあったご近所全体と。

 

それでも挨拶と軽い立ち話くらいは誰とでも(もちろん彼女とも)したし、ただただ深くつきあわないようにしていたある日、思わぬところから彼女の実態を知ることとなった。詳しくは割愛するけれど、それをきっかけにして、彼女がご近所それぞれに対して、それぞれが仲良くならないように悪口を言ったり、まったくの嘘をさも本当にあったことのように話したりしていたことがわかった。その中には到底ゆるすことのできないことも含まれていたので、わたしは彼女に対し説明と謝罪を求めた。あれから3年近くたったけれど、いまだに説明も謝罪もない。それからは、これまで以上にその一家とは距離をおいた。子ども同士はもともとものすごく気が合うというわけでもなく、普段よく遊んでいたわけでもなかったので特に大きな変化はなく、帰り道が一緒になれば一緒に帰るくらいの、普通の付き合いを続けていた。

 

ただね、一旦できたほころびを繕わないままでいると、二つ三つとつながって、大きな穴になるもの。自分がしたことを認め、謝罪することを避け続けた一家は、その後も数々のトラブルを生み出し、とうとう数ヶ月前に家を売却して引っ越していった。ちなみに、この一家が持ち家を売却して引っ越すのは、これが初めてではない。

 

 

 

 

つい先日、長男が2週間ほぼ毎日いわれのない中傷を受けていたことが分かった。

 

「おまえのせいで、◯◯は引っ越さなきゃいけなくなったんだ!」

「◯◯がそう言っていた!」

 

言っていたのは、彼女の子どもと仲がよかったRという子どもだった。

 

経緯

先日、同じ被害者でもあるご近所のお母さんから電話がかかってきた。「今朝、学校で長男くんが同じ学年の子に、『◯◯が引っ越さなきゃいけなくなったのはおまえのせいだ!』と言われているのをみた。自分はその場で何も言えなかったからお母さんから伝えてあげてほしい、と子どもが言っているので連絡した」ということだった。

 

ちょうど長男が出かけているときだったので、帰宅するのを待って話を聞くと、「ああ、うん。もうずっと毎日のように言われてる。今日も言われた。」と。

 

毎日言われてた?もうずっと?

 

 

わたし「そっか。それであなたはそれを言われてどんな気持ちだったの?ママに話そうとは思わなかった?」

長男「うーん。最初はすごく嫌だったけど、でも俺は何にもしていないから。していないことを言われても気にならない。だから特に話す必要もないかなって思った。」

わたし「そっか。そうだよね、何にもしてないもんね。それでもそう言われたら嫌だよ。ママだったらすごく嫌だ。今は本当に気にならないの?」

長男「だって違うよって言っても(言うのを)やめない人のことを気にしたってしょうがないじゃん。言ってもわからないんだから。」

わたし「…そっか。そりゃそうだね。っていうか、あなたはすごいと思う。そういう風に自分で気持ちを整理できて行動できるってすごいなって思う。ママはちょっとそこ自信ないな。ただ、このことに関しては(その一家が関係することについては)あなたの手に負えないこともでてくるから、必ず知らせてほしい。一人でなんとかしようとしないでほしい。だから学校とも話をするよ。」

長男「うーん…」

わたし「ママが学校と話をするのは嫌?」

長男「できれば、自分の力で解決したかったなぁと思って。」

わたし「そっかぁ。そうだね、あなたはそれができると思う。その力があると思う。でも本当にごめん。あのお家が関係することはどうしても親として関わらなければならないって思う。嫌かもしれないけれど、関わることを許してもらえないかな。」

長男「わかった。いいよ。」

わたし「ありがとう。他の友達のことだったら、あなたの思うとおりにしてほしい。もちろん、そのときに何か困ったことがあったら、なんでも力になるからね。何度もいうけどあなたは何もまちがったことはしていないから。とても立派だと思ってるからそこだけはわかってほしい。」

長男「うん、わかった。ありがとう。」

 

学校とのやりとり

すぐに学校に電話して、経緯を話し、対応をお願いした。そのときのわたしへの対応はびっくりぽんなものだったけれど、その中でも1番びっくりぽんだったことだけ書いておく。

 

わたし「こういった根も葉もない噂が広まらないように指導してもらいたい。わたしたちはそこを一番心配しています。とにかく、これまで受けてきた被害から考えると、相手がどんな事情でそういうことを言っているのか理由がわからない今、ただの子ども同士のトラブルとして楽観視することができないんです。」

先生「すいません、えーっと、長男くんが追い出したわけじゃないんですよね?」

わたし「もちろんです。そもそも誰も追い出してなんかいないですよ。」

先生「それならそれが噂になることはないんじゃないですか?やっていないんだったら、大丈夫ですよ。」

わたし「・・・・・」

 

ひさびさに絶句した。長男が実際にやったことでなかったら、それが噂として広まるわけがない?本気でそんなことを言っているのだろうか。世の中に広がっているあらゆる噂で苦しむ人たちは、それが本当のことだから苦しんでいるのであって、それが本当のことでなければ噂になるはずはないし、苦しむ必要もないってこと?

 

その先生はそんな風に思っているわけではないと思いたい。もっと違う意味、例えば「長男くんの人柄を知っているみんながそんな噂に振り回されるわけがない」という意味で言ってくれていたのかもしれない。ただ、それにしては言葉が足りないし、選んでいる言葉がまちがっている。

 

 

実は、これはほんの一端。実際はこの数倍のパンチ力をもった失言・迷言が次々に飛び出してきて、わたしはそれを避けるので精いっぱいだった。最後は避けきれず、悔しさと伝わらなさで涙が止まらなくなった。

 

とはいえ、Rくんの担任でもあったその先生は、すぐに動いてくれた。Rくんから話を聞き、長男からも話を聞き、三人で話をしてRくんが謝罪をして、長男が許したということで、とりあえずは収束を迎えたようだ。どうしてそんな発言をしたかというと、以前◯◯(彼女の子ども)から近所でのトラブルのことをチラッと聞いていたので、友達が引っ越してしまった寂しさを長男にぶつけてしまったということだそうだ。わたしたちが一番心配していたような展開にならず、ひとまずホッとした。

 

もちろんこれで解決と安心するのではなく、これからも注意して見守っていく。なにかあったら連絡をくださいということだったので、感謝の気持ちを伝えて、この話は終わりとした。

 

感じたこと

まだ長男が小2の頃。喧嘩や揉め事の耐えないGくんとその親が、その内容と対応のまずさについて、子どもたちからも、その親たちからも激しく非難を受け、いわゆる村八分的な状態になって引っ越していったことがあった。うちからは遠い地域でのことだったし、Gくんと仲が良かったわけでもなかったので、ニュースをみるような感覚でその話を聞いていた。そのとき、Gくん一家が引っ越したことを喜んでいる人たちを見ながら、長男がぼそっと言ったことを今でもよく覚えている。

 

「Gは確かに喧嘩が多いし、迷惑をかけるようなことをいっぱいする子だった。でも、Gにもいいところはたくさんあったよ。俺はGのこと特別好きでもないけど、別に嫌いでもなかったな。」

 

わたしは、我が子ながら長男のこういうところを心から尊敬している。物事や人の一面だけをみて判断しない。見習わなければ、といつも思う。

 

今回のことでも、この子は本当にすごいなぁと思った。

 

「何もしていないんだから言われても気にならない」

「違うよって言ってるのに(言うのを)やめない人のことを気にしたってしょうがない」

 

そのとおりだよね。当然でしょ、という顔でサラリとこんなことを言う長男を見ていると、激しく動揺してしまった自分がちょっと恥ずかしくなってくる。負うた子に教えられて浅瀬をわたる、とはまさにこのこと。わたしは子どもに教えられてばっかりだなと思う。まあ今回は、相手が相手だったのでしかたないという言い訳はしておくけれど。

 

 

以前、江口季好さんの詩「君には君の歌がある」を読んだ感想としてこんなことを書いていた。

 

10代のわたしにとって30代の人というのは、何でも知っていて何でも分かっている大人だと思っていた。そして、自分がその年齢に達して思うのは、全くそんなことはないということだ。知らないことだらけだし、分からないことばっかりだ。間違うこともあるし、失敗もする。完璧にはほど遠く、理想は霞んでよく見えない。

 

そんなわたしが子どもたちにできることって?江口さんの詩を読み、その問いの答えが少し見えてきたような気がする。

 

子どもを一人の人間として見つめる。信頼して、まかせる。その上で、困ったとき、自分の力では解決できないような問題にであったときには、相談してほしい。一緒に考えよう。わたしたちがいつでもそう思って子どもたちを見つめているということを、言葉にして伝え続ける。

 

言うは易く行うは難い。でもこの詩から芽生えた小さな芽を大事に育てて、始まったばかりの10代の息子との日々を過ごしていけたらと思う。

 

今、このときとまったく同じ気持ちでいる。そして、それ以外になにができるかなと考えてみた時、わたしができることといえば、居心地のいい家で子どもを出迎え、あたたかいご飯を作り、いつでも話したいと思うときに話せる雰囲気の母であることなんだろうなと思った。今のところ、そのほとんどができていないけど…。

 

よし!とりあえず、この記事を公開したら、気分を入れ替えて、掃除をしよう。そして、今夜は長男が好きなものをいっぱい作ってあげようと思う。

 

長くなったけれど、今日はこれでおしまい。

 

輝け!いのちの詩―子どもとよみたい

輝け!いのちの詩―子どもとよみたい