がんばるブラザーズ

子供たちの家庭学習やサッカーの記録。

統合失調症の母を持つ子供の話 (3)

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あと少しで子供たちの冬休みも終わる。最近の彼らはというと、調子にのりすぎては叱られ、しおらしく「は〜い」と返事をした数分後にまた同じことを繰り返す毎日。おかげでストーブが1台壊れてしまった。いつもいないお父さんと数日間たっぷり過ごせたのが嬉しかったらしく、大興奮で大変だった。お父さんなら許されると思って甘えたり、文句を言ったり、楽しそうにやんちゃをする子供たちをみていると、幸せそうでいいなぁと思う。よかったなぁって。すっごくうるさいし、すっごく疲れるけど、そんな幸せな空気がわたしの周りにあるのは、夫のおかげだなと思う。わたしは多分、そこまで彼らを安心させてあげられていない。夫がいてくれるからこそ、子供たちは安心していられるんだと思う。

▽ これまでの話 gambaruko.hatenablog.com gambaruko.hatenablog.com

いつまで続けられるかわからないけど、もう少し読みたいと言ってくれる方もいたので、今日は小学校高学年〜高校時代までの話をしようと思う。

どうして自分だけ我慢しなくてはいけないのか?

高学年になると、だんだんと色んな事情がわかってきて、「どうして自分だけこんなに我慢しなくちゃいけないんだろう」という気持ちが芽生えてきた。きっかけとなったのは、毎年夏休みに遊びにきていた叔母一家との関わりだった。叔母は母の姉。プライドが高く、ポンポン思ったことを口にするタイプの女性だ。子供の頃からその叔母のことは苦手だったけれど、2つ年下の従姉妹のことは好きだった。と同時に、いつもどこかで「うらやましいな」と思っていた。普通に「お父さんとお母さんがいて、いいな」と。

祖父母は叔母に会うといつもホッとしているように見えた。いつもより優しい眼差しになったし、叔母のことが好きなんだなぁと思った。母に対する態度とは全然違うな。母のことは好きじゃないのだろうな。子供心に、これは気づかないふりをしたほうがいいなと思っていた。わたしや母に対する態度よりも、優しく、甘い祖父母のことを、従姉妹は時々バカにした。「ちょっとうっとおしい。よく我慢出来るね?」と平気な顔をしていう従姉妹をみて、なんてことをいうんだろうこの子は、と思った。こんなに優しいじゃないか。こんなに色々買ってくれてるじゃないか。ピアノが上手だった従姉妹は、コンクールで全国大会に行くほどの腕前だったそうだ。祖父母はそれを聞いてグランドピアノをプレゼントした。グランドピアノはちっともうらやましくなかったけれど、そこまでしてもらっておいて「うっとおしい」と言える従姉妹がうらやましかった。

叔母一家がくると、いつにも増して母の影は薄くなった。きっとわたし以上に色んなことを感じたんじゃないかなと思う。無神経な叔母の言葉に、たくさん傷ついたと思う。わたしくらいは味方でいたい。そう思って母のそばにいようとしたけれど、「あっちに行ってなさい」と言われれば、もうわたしにできることはなかった。

お金を盗むようになった

小6になった頃だったと思う。最初にお金を盗んだのは。母のことも、祖父母のことも、だんだんと嫌になってきて、我慢ができない!と思ったときに、衝動的にタンスに入っていた祖父のお金の中から1万円札を1枚抜き取った。わたしに母の不調の全責任をおしつけるくせに、自分たちは趣味の俳句だお花だ茶道だで毎日毎日出かけてばかり。祖父母たちは優雅に暮らしているのに、わたしは薄暗い家でひとり留守番していなくちゃいけない。我慢の限界だった。そのお金で何をしたかというと、まずは空腹を満たすために食べ物を買った。そして、こっそり隣町の本屋さんまで行って、好きな漫画や本をたくさん買ったり、ファーストフード店でテイクアウトして自室でこっそり食べたりもした。

1度では済まなかった。それからも、何度も何度もお金を盗み、散財した。パーッと使った。罪悪感は今でも胸に残っているし、いくら身内からとはいえお金を盗むことは窃盗だ。やっちゃいけないことだ。それでも。そのくらいで済んでよかったんじゃないかと、今は思う。

1週間の不登校

中1の秋、属していたグループの中心メンバーに「放課後残っておいて」と言われた。数日前から、仲良くしていた子たちが、わたしに聞こえるように文句を言い始めていたので、なんとなく話の内容は見当がついた。放課後、連れて行かれたのは空き教室。その床に正座させられ、わたしの周りをぐるっと十数人の女子が囲む形になった。彼女たちは机の上に座り、わたしを見下ろしながら、罵り、なじった。体の暴力は一切なかったけれど、心はボロボロだった。

ブス、バカ、デブ、ビッチ、◯◯が彼氏だからって調子にのるな、誕生日プレゼントにハンカチなんかいらねーんだよ!ムカつく、母親がキチガイのくせに!勉強できるからって偉そうにすんな!

今思えばアホかと思えることでも、中1のわたしにとっては絶望的な状況だった。終わったな、と思った。担任の先生から事情を聞いたらしい祖父は、わたしに一切なにも言わず、なにも聞かなかった。もちろん、母も。案の定、その後しばらくたってから、母の具合は悪くなってしまった。夜中に独身の男性教師宅に電話をして、彼女気取りで甘えたり、ものを贈ったりしていたようだ。男性教師からの苦情にショックを受けた母は、しばらくまた学校に行けなくなった。さすがにこのときは、「お前のせいだ」と言われることはなかった。

「しっかりしているね」という言葉は呪い

高3のとき、母が具合が悪くなって大変な思いをした。

わたしが高3の頃、母の具合が悪くなったことがあった。そのとき一緒に住んでいた祖父母は長期不在中で、家にはわたしと母の2人だけ。 ある夜、定期テスト前で遅くまで勉強していたとき、母が車でどこかへ出かけていく音がした。何も声をかけずに出て行ったので、コンビニかな?すぐ帰ってくるだろうなと思っていた。でも10分たっても、30分たっても、1時間たっても帰ってこない。嫌な胸騒ぎがしたけど、明日はテスト。早く寝なければ、と思って眠りについた数時間後、家の電話が鳴った。警察からの電話だった。 「あなたのお母さんが、高速道路で車を停めて、車内で騒いでいたのを発見したので保護しました。迎えにこられますか?」 時計をみると3時。どうすればいい?タクシー?お金は?いろんなことが頭をよぎったが、とりあえずお金をかき集め、タクシーで迎えに行った。「財布や持ち物は窓から全部捨てた!なんか文句あるか!」とわめきたてる母を引き取って家に帰り、その晩は一睡もせず母のそばにいた。 「見張っていなければ」 「どこにもいかないように」 しばらく学校には行けなかった。

統合失調症の母を持つ子供の話 (1) - がんばる小学生

このとき、心療内科の先生に「あなたは高校生なのにしっかりしてる。こんな娘さんがいるなら、お母さんも安心だ」と言われた。先生は単純に褒めてくれたのだと思う。最初はわたしも嬉しい気持ちになった。頼りにしてもらえるっていうのは、無力だと思っている人間にとって嬉しいことだから。でも、これが後々までわたしを苦しめる呪いの言葉になったのも確かだ。これ以降、医師や看護師、ソーシャルワーカーをはじめとする医療従事者の方たちに、何度同じ呪いをかけられたことか。しっかりなんかしていない、と泣きながら叫べばわかってもらえたのだろうか?と今は思う。

まとめ

今回書いたのは、小学校高学年〜高校時代までの話。この間に、祖母が脳梗塞で倒れて入院したり、その原因となった遺産相続問題で祖父が大暴れしたり、平穏とはいいがたい毎日だったけれど、なんとか息をひそめて生き延びた。この頃は「とにかく家からでなければ」と考えていた。近くの大学に進学するよう口を出す母や祖父の反対を押し切って、大学進学を機に家を出ることになったときの解放感は最高だった*1。やっと自由になったーと思ったけど…。まあそんなにうまくいくわけないよね。

次回は、大学以降の話を書いて、その次の回でわたしが今思っていることをまとめて終わりにしようと思う。

前の記事にブコメをくださったみなさま、ありがとうございました。

id:dekunobouchang さま

コメントありがとうございます。配偶者はお互いを選べても、子供は親を選べないので、大人になるまではどうしても犠牲になるしかないんですよね。それをよしと思っているんじゃなくて、どうにかならないものかと思うんだけど、今のわたしには大人になるまで生きてということしか言えないのがもどかしいです。食べ過ぎで体と心を壊さないことを祈ってます。悲鳴をあげているんですよね、きっと。

id:koenjilala さま

コメントありがとうございます。心中お察しします。つらい役回りですよね。そして「後悔はありません」という言葉にグッときました。これからは、わたしもはっきりと、後悔はありません!って言おうと思いました。母を見捨てた形になったこと、正直罪悪感はあるんですけど、それ以上に肩の荷がおりました。平和で、安定した気持ちでいられるのがこんなに幸せなことって知りませんでした。

id:chimako-tsushin さま

コメントありがとうございます。ちまこさん、びっくりさせちゃいましたね。わたしはちっとも優しくないんですよ。弱いんです、すごーく。夫のおかげで、今のわたしがあるので、もしわたしが優しくみえるとしたら、それは多分夫の優しさだと思います。って、のろけてみました。ふふ。

おしまい。

▽ 過去記事

gambaruko.hatenablog.com

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*1:もちろん今でも大学に進学させてもらったことには感謝してる。でも、その対価を求められるのならば違う道を探した方がよかったという思いもある。