がんばるブラザーズ

子供たちの家庭学習やサッカーの記録。

統合失調症の母を持つ子供の話 (1)

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明日から仕事がはじまる。毎年、休み明けに必ず患者さんたちから聞かれることがある。

「実家には帰ったの?」

この質問は必ずくる。必ずくるから、答えを準備しておかなければいけない。去年は「母は友達と旅行に行くんですって。だから家族水入らずで普通に過ごしました」と答えた。我ながらいいアイディアだった。今年もその線でいこうと思っている。

母とはかれこれ2年ほど会っていない。連絡もとっていない。母からの連絡も一切ない。その事実を患者さんとの世間話で正直に話したら、きっとみんな引くだろうと思う。中には、そんなわたしを咎める人もいるだろう。何も知らないのに。だからわたしは絶対に言わない。

これまで何度かこのことを書こうと思ってきたけれど、なかなかまとめられなかった。今回もどうなるかわからないけれど、とりあえずやってみようと思う。多分、これを書くことは自分のためになると思うから。

今回は、統合失調症の母とのエピソードをいくつか紹介しようと思う。きつい話が多いかもしれないのでたたみます。それから、ここに書く内容は統合失調症の方すべてに当てはまるものではなく、あくまでもわたしの母の話です。

統合失調症の母

母が「統合失調症」と診断されたのは、13年前。それまで通っていた心療内科から、自宅近くの精神科に転院(そして入院)したときに診断を受けた。非定型精神病と診断されてから約25年後のことだった。

主な症状

統合失調症で調べるとでてくる症状は、ほぼすべて当てはまる。特に強かったのが幻覚。そして妄想。それから一番困ったのが、行動異常。 まず「誰かが悪口を言っている」と言いはじめる。それから「泥棒が入った。財布がない。犯人はあいつだ!」と言って警察を呼んだり、直接その人に詰め寄ったりするようになる。興奮して大声でわめきながら、着の身着のままで外へ飛び出していくようになると、手がつけられない。救急車で運ばれたことも数回ある。

高校生の頃の話

わたしが高3の頃、母の具合が悪くなったことがあった。そのとき一緒に住んでいた祖父母は長期不在中で、家にはわたしと母の2人だけ。 ある夜、定期テスト前で遅くまで勉強していたとき、母が車でどこかへ出かけていく音がした。何も声をかけずに出て行ったので、コンビニかな?すぐ帰ってくるだろうなと思っていた。でも10分たっても、30分たっても、1時間たっても帰ってこない。嫌な胸騒ぎがしたけど、明日はテスト。早く寝なければ、と思って眠りについた数時間後、家の電話が鳴った。警察からの電話だった。

「あなたのお母さんが、高速道路で車を停めて、車内で騒いでいたのを発見したので保護しました。迎えにこられますか?」

時計をみると3時。どうすればいい?タクシー?お金は?いろんなことが頭をよぎったが、とりあえずお金をかき集め、タクシーで迎えに行った。「財布や持ち物は窓から全部捨てた!なんか文句あるか!」とわめきたてる母を引き取って家に帰り、その晩は一睡もせず母のそばにいた。

「見張っていなければ」 「どこにもいかないように」

しばらく学校には行けなかった。

就職先の病院に母が突然やってきた話

わたしは、実家から遠く離れた町にある大学へ進学し、そのままその町で就職した。当時勤めていた病院に、ある日突然母がやってきた。ちょうど日勤だったわたしは、受付で大声をあげている女性が自分の母親だとわかった瞬間、持っていたボードを床に落としてしまった。

まさか!なんで?

母を病棟から連れ出して、タクシー乗り場まで連れて行き、「わたしは仕事中だし、今日は夜勤です。家に帰って。急に来られても困るの」と告げてタクシーのドアを閉めた。 自分が苦労して築いた生活を壊されたくなかった。

「お前がいたから人生が狂った」と言われた話

子供が生まれて、実家で一人暮らしをしている母が定期的に遊びにくるようになった。その頃は、服薬さえできていれば、穏やかに過ごすことができていた。服薬さえできていれば。 その服薬ができなくなってしまうのも、母の特徴だった。時間になると電話をして、「薬をのもう」と言うのがわたしの日課だった。書くのは簡単だけど、かなり大変なことだ。ただでさえ乳飲み子を抱えて自由がきかない中で、時間をみて電話をするというのは簡単なことじゃない。そんな日々の疲れが言葉のキツさとして出たとき、母は必ずこう言ってわたしを責めた。

「いくらお金を出してやったと思っているんだ!」

「誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ!」

「なんであんただけ旦那さんがいて幸せそうに暮らしているんだ!*1

「お前ができたから、お前がいたからわたしの人生は狂ったんだ!」

病気がこう言わせている。本当にこう思っているわけじゃない。何度も何度も自分に言い聞かせてやってきた。自分で言うのもなんだけど、前向きによくがんばっていたと思う。

子供たちの前で罵られた話

ある日、仕事中に携帯が鳴った。母の携帯からだった。留守電を聞いてみると、

「お前は昨日からどこを出歩いてるんだ!主婦のくせに、家にも帰らないで!お前の家まで行ったんだぞ。いないからホテルに泊まった。◯◯ホテルにいる。今すぐ迎えにこい!」

と入っていた。前日は、子供の習い事で家を空けていた。その間に母が来ていたかと思うと、ぞっとした。その日は土曜日だったので、夫と子供たちも一緒に迎えに行った。会ってみると思ったよりも落ち着いていたものの、呪いのようにブツブツとわたしへの文句を繰り返していた。「この親不孝ものが。クソが」というようなことを、えんえんと。家に着いてからは、和室に荷物をぶちまけ、タバコを吸いまくり(うちは禁煙だ)、「飯は!おまえは飯もろくに作れないのか!主婦のくせに!」「今すぐ作れ!見張っておいてやる!」と怒鳴られた。子供たちは初めて見るおばあちゃんのそんな姿をみて、ショックだっただろうと思う。翌朝、夫が母を連れて帰ろうとすると断固拒否。「一人で帰る!」とタクシーを呼び、帰って行った。

それから1度も母とは会っていない。

まとめ

もっといろんなエピソードがあるけれど、このくらいにしておきます。この4つのエピソード*2で、わたしと母がどんな風に関係をこじらせていったか、なんとなく感じてもらえたんじゃないかと思う。

母は、統合失調症だけでなく、毒親要素もたっぷりと持った人。悪い人ではないこともわかっている。でもわたしは、わたしを守るために距離をおく。親不孝だと罵られても、わたしには守らなければならないものがあるから。

これだけだと、どよーんとして終わるので、癒しの1枚を!

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次回は、そんな母に対して子供の頃のわたしがどう感じていたかについて書いてみようと思う。

▽ 統合失調症の母を持つ子供の話 (2) gambaruko.hatenablog.com

▽ 統合失調症の母を持つ子供の話 (3)

gambaruko.hatenablog.com

おしまい。

▽ 過去記事

gambaruko.hatenablog.com

gambaruko.hatenablog.com

gambaruko.hatenablog.com

*1:母は幸せな結婚生活というものを1度も経験していない

*2:前半2つは統合失調症と診断される前、後半は診断後のエピソード