がんばるブラザーズ

中学生と小学生の家庭学習やサッカーの記録。

【完結】アドラー心理学を子供たちとの関わりに生かす1週間チャレンジの記録

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

「嫌われる勇気」を読んで、わたしが特に変えていきたいと思ったのは子供たちとの関わり方でした。これはすぐにでも変えたい。そう思ったので、とりあえず1週間、失敗してもいいから続けてみることに決めました。多分くじけそうになると思うけど、1週間は絶対続けてみるぞと。

アドラー心理学の考え方についてはググるなり、本を読むなりしていただくとして、わたしがこの1週間特に気をつけようと思っているのは以下の2つ。

  • 頼まれていないことを手出し口出ししない
  • 怒る・叱るという手段を使わずに思いを伝える

これに加えて、これまで意識してきた「ほめるのではなくて気持ちを伝える*1」「人と比べない」ことについても、今まで以上に意識的に取り組んでみよう!というのが今回のチャレンジの概要です。

せっかくなので、1週間のチャレンジで日々印象に残った出来事をメモしていこうと思います。

1日目

学校から帰宅して、手洗いうがいもせずにダラダラしゃべっている子供たちに「やることをやったらおやつにしよう」とだけ言っておしまいにした。普段なら「早く手を洗ってきなよ!ダラダラしないで!」と言ってしまうところだけど、グッとこらえた。結果、特にさっさと動けたわけじゃないけれど、自分たちで手洗いうがいをしておやつを食べるに至った。

手を洗うのも、さっさと動くのも、子供たちの課題なので、わたしがするのは声かけだけ。するかしないか決めるのは子供たち。と考えてそうしてみた。



ごはんの支度をしているときのこと。

あまりにもしまうのが苦手すぎて心から「ありがとう」の気持ちがあふれただけなんだけど、次男の反応をみて「ああこういうことだよな」と思った。誰かの役に立つこと、誰かに喜んでもらえることは行動する動機に直結するんだなと。そして「ありがとう」を伝えるためには、子供たちが何をしているのかを見て、知っておく必要があるなと改めて思った。

2日目

クラブ活動のクラブ決めがもうすぐだという長男。まわりの子たちは友達同士で相談して何にするか決める子が多い中、長男は純粋に「自分がやってみたいクラブ」を希望したとのこと。これまでのわたしは、そういうマイペースなところが心配で「誰と一緒になりそうなの?」とか「◯◯くんは何にするっていってたの?」と聞いてしまっていたと思うけれど*2、今回はグッとこらえて「希望のクラブになるといいね」と言うにとどめた。すると長男が…

長男:誰と一緒になるか心配じゃないの?
わたし:あなたは心配なの?
長男:ううん、心配じゃないよ。
わたし:じゃあママも心配じゃないよ。それに運動会のときのあなたをみていたら、あなたなら誰とだって楽しくやれるんじゃないかと思ったよ。
長男:うん。俺もそう思う。テニスクラブになれるといいなぁ。
わたし:なれるといいねぇ。まあ、なんか困ったことがあったらいつでも聞くよ。

長男は「うん、わかった」と笑って遊びに出かけた。

長男はわたしが彼のどんなところを心配してるのか薄々わかっていると思うので、多分このやりとりは大きな変化だと感じたんじゃないかな。もちろん心にもないことを言ったわけではなく、実際に運動会のときの様子をみて感じたことでもあったので、いいタイミングで伝えられてよかった。でもこのあたりのさじ加減は難しい。プラスのことであってもそれがプレッシャーになったら嫌だなと思って、最後に「なんかあったら聞くよ」を付け加えてみた。

3日目

PTAの集まりで疲労困憊していたこと、サッカースクールの時間の関係でごはんを食べる時間が8時をすぎること。この2つが重なったせいか、帰宅後ダラダラ動いてなかなか先に進まない長男に対して「早く動いてくれないとごはんが食べられないよ!さっさと動いて!」とイライラをぶつけてしまった。

「疲れているのはわかる」と理解を示したうえで「お腹がすくとイライラしてしまうから早く食べたいと思っている」ことを伝えられたらよかったのかなと思う。そしてあまりにも動かないようであれば、「先に食べるね」と言って食べればよかったのかも。

夫から「一緒に食べたい」というのも伝えたほうがいいんじゃない?と言われた。確かにそうだな。

4日目

今日は仕事が忙しくて残業だったせいもありクタクタ。疲れているとちょっとしたことでイライラしてしまう。土日はそれぞれがバラバラの動きをするので、調整がうまくいかないと尚更ストレスがたまる。

こういうときは子供たちの「わたしにとって不都合な動き」が目について、つい口を出したくなる。そこらへんに水筒をおきっぱなし、帽子もおきっぱなし。そういうのを見つけると、自分のことはさておきギャオーと言いたくなる。でもこれはわたしがギャオーって言いたいだけ。グッとこらえて「水筒がおきっぱなしだと邪魔なので困ります」「この帽子は捨てていいってことかな?」と言ったら、いそいそと片づけはじめた。

当たり前のことではあるけれど、お腹がすいていたり、疲れていたり、寝不足だったりすると、身体も心も余裕がなくてよくない。とはいえ、そういう状況をゼロにすることは難しいので、自分が今どういう状態なのかをわかっておく・意識して感じておくのが大事だなと思う。「今日は疲れてるな」と感じていれば、深く言及しないとか、言いすぎそうだからやめておくという選択もできる。

5日目

サッカーへの取り組み方について、対子供たち、対夫と話をした。サッカーにどう取り組むかについては子供の課題、と分かってはいるんだけど…なかなか気持ちに折り合いがつかない。サッカースクールの月謝は親が払っているし、チームの保護者会会長は子供が所属していなければやらなくていい仕事と思うと、いくら子供の課題とはいえ「真剣にやらないんだったら辞めてほしい」と言いたくなる、っていうか言ってしまった。

「言ってしまった」と思っていたけれど、言うのはかまわないのかなと今は思ってる。気持ちを伝えるのも、通うための条件を提示するのもいい。ただ、できなかったからといって怒ったり叱ったりする必要はないんだなと。そこのところの気持ちのコントロールが難しいなと思う。まだ、子供のことが自分ごとになっている。

6日目

漢字のテストが100点だった!と持ち帰ってきた長男。「どんな気持ち?」と聞くと「よっしゃっていう気持ち」と返ってきたので、「やったね!」と言ってハイタッチした。

こういうケースはよくあることなので、「よくできたね!」の代わりに「どんな気持ち?」って聞くことにした。インタビュアーきどりで「今、どんなお気持ちですか?」というと次男は特に喜ぶ。わーい!って一緒に喜ぶと嬉しそうで嬉しい。

7日目

夫とサッカーの話をしていたときのこと。次男のプレーについて「ああいうところ、本当にすごいなぁって思うよね」と話していたら、それを聞いていた次男が「ママにほめられるとうれしい」と言った。「え?これはほめてるんじゃないよ。ママの正直な気持ち」と言ったらあまり納得いかない様子だったので、「自分より何倍も何十倍もサッカーが上手なひとのことをほめられるわけないでしょ。あなたもプロのサッカー選手に『きみ、上手だね!すごいじゃん!』とは言わないでしょ?だからほめてるんじゃなくて、ママはほんとうにあなたのプレーがすごいなぁかっこいいなぁって思ってるってことだよ。」と説明した。それを聞いて「な〜んだそういうことか」とまんざらでもない顔をしていたので、なんとなく伝わったかなという印象。

「ポジティブなことを言われる→ほめられた!」という回路ができあがっているなと感じたし、今のところそれに全く疑問も不満もないんだなと思った。別にそれが悪いことというのではなく、いろんな感情をおぼえるようになっていけば、この微妙だけど大きな違いもわかるようになるだろうから、これからも気持ちを丁寧に伝えていきたいなと思った。そこまで厳密に違いを説明しなくてもいいかなという気もしたけど、チャレンジ中なのでチャレンジした次第。

1週間チャレンジを終えて思うこと

「嫌われる勇気」を読んで感じたこと、実践してみたいと思った気持ちをそのままにしておきたくなくて、とりあえず1週間やってみようと始めたこのチャレンジ。あっという間でしたが、いろいろな気づきを得た1週間でした。

少し本筋から離れますが…

わたしは自分の子供時代について大きなトラウマを抱えていました。支配的だった祖父や、病状によって過干渉と無関心をいったりきたりする不安定な母がしてきたようなことを、子供には絶対にしたくない。世間一般にいう「いい親」になりたいと思ったことはないけれど、「自分の親よりいい親になりたい」という思いはものすごく強かったと思います。でも実際はというと、思いどおりにならなさすぎる状況を前に、感情のコントロールができず声を荒げたり、口汚くののしってしまったりすることがあるわけです。あんなに嫌だと思っていたのに。そのたびに激しく落ち込みます。でも、その一方で、あまり認めたくはないけれど「ここまで言わせた子供たちが悪い」「わたしはもっとひどいことを言われていたんだから、この程度なら全然問題ない」って、自分を肯定したいわたしもいる。このことに気づいてからは、こっちの自分が大きくならないように、こっちがメインにならないようにと必死でした。怖かった。

子供たちが成長すると共に、ままならなさに叫び出したくなるという状況が減っていき、少し気持ちに余裕が出てきたところで、この「嫌われる勇気」に出会いました。この本の冒頭で、明確に否定されるトラウマ。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」

岸見一郎・古賀史健 (2013). 嫌われる勇気 ダイヤモンド社 pp30-31

ひゃー!と思いました。アドラー的にいうと、わたしは子育ての不安や感情のコントロールがうまくいかないことを、劣等コンプレックスを抱いている子供時代のせいにしたい。わたしだって健康な両親に育てられて幸せに暮らしていれば、もっとポジティブに、もっと肩の力をぬいて、もっと自然体で子育てができたはずなのに。それができないのは、わたしが劣っているからではない。そう思いたいからこだわり続けているのかな、と思いました。

自分の中の小さな自分をヨシヨシしたい気持ちもあるけれど、それでもやっぱりわたしは自分を変えたいです。子供たちを支配したくない。

この1週間チャレンジをとおして、「人は変われる」という手応えと同時に、変わることの難しさも感じました。変わりたいと思っていないかぎり、「変わりたくない」がデフォルトなんですよね。ものすごく当たり前なんだけど、そうなんです。変わりたいって思うということは、目的があるということ。こうしたい、こうなりたいと思っているということ。そんなふうに目的をもって、納得して取り組んでみると、変わることは難しくないと感じました。でも、それ以外のことは難しい。まだまだ練習が足りない。

それでも。変わろうと思えば変われるということを実感できただけでも、このチャレンジの意味は大きかったなと思います。記録はここで終わりますが、チャレンジは続けていきます。

おしまい。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

▽ 過去記事

*1:ありがとう、助かったよ、やったね!、うれしいね!など

*2:書いてみると自分のうざさにげんなりする