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がんばる小学生

サッカー少年の家庭学習と本の記録

地元が好きって思えなくてもいいんだよ、と言いたい。

遠く遠く

小学校で行われるPTA総会や懇談会、学校説明会などに出席する機会が多かった昨年度。先生方の話を聞いていると、「地域の方々に感謝」「地域との密接なつながり」「地元への愛着」というワードが頻繁に出てきました。

子供たちが通っている小学校では、地域の方々にご協力いただいて米作りや和紙作り、畑作りなどさまざまな体験学習が行われています。同じ地域の他校に比べてもそういった地域密着型の体験学習が多い学校なので、「地域」が絡むワードが頻出するのは当然のことかもしれません。

子供たちはとても貴重な体験をさせてもらっているし、ご協力いただいている地域の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当に大変だと思うし。でもね、「地域に根ざした子」とか「◯◯(地域名)っ子」とか言われすぎると、わたしの中のリトルとんははが「もうわかったからやめて!」と暴れ出すのです。なんちゃって。そこまでじゃないけれど、軽く違和感をおぼえてしまうのは本当です。

地域への愛着は持てたほうがいいんだろうけど、あんまり言われると「持てない人はダメ」と言われている気がするんだよなぁ。わたしはいつも「地域愛」「地元愛」を語る人たちのよく動く口元をみながらそう思っています。

生まれ育つ場所を子供は選べない

スピリチュアルな話だともしかしたら「いいえ、そんなことはありません」って言われちゃうかもしれないけれど、今回はそれはなしにするとして。基本的に子供は自分が生まれ育つ場所を選ぶことはできません。親、もしくはその親をはじめとする親族の都合で、たまたまその地域で生まれ育ったというだけ。

そして、多くの子供たちは成長と共に、自分たちが暮らしている地域の学校に通いはじめます。ただ単に「近所に住んでいる」というだけで、「同じ学区に住んでいる」というだけで、6年間とか3年間を一緒に過ごす。その中で「友達は一生の財産だ」とか「君たちが住んでいる地域はこんなに素晴らしい」と繰り返し繰り返し言われ続けるんですよね。

その地域や学校にうまくなじめないでいる子にとって、このとても正しそうなスローガンを声高らかに言い続けられるのは結構きついものです。それに当てはまらない自分を自覚しなきゃいけなくなるから。

大人が期待する子供像に近い人になりたいという気持ちがあったわたしにとって、地元になじめず、家でも居場所がなく、どこ行ってもなんだか浮いちゃう自分を自覚するというのはなかなか辛いことでした。

高校で少し楽になり、大学でだいぶ楽になった

高校は自転車で30分くらいの距離だったので、いつもの生活圏から一歩か二歩、外に出るという感覚で通っていました。同じ中学から行く子も結構いたので、完全に地域色が抜けたわけじゃなかったけれど、それでもずいぶん薄まりました。いろんな地域で育ってきた子がミックスされることで、息をするのが少し楽になった。

そして、大学は新幹線で3時間ほどかかるところに決めました。ひとり住まいをするために借りてもらったのは古いマンションの小さな部屋。1Kのボロくて狭い部屋でしたが、誰にも干渉されず、好きなように暮らせる毎日はまさにバラ色でした。知っている人といったら、マンションの1階にある八百屋さんのおじちゃんくらい。わたしのバックグラウンドなんて知らない、今のわたししか知らない人たちと少しずつ言葉をかわしながら知り合っていくあの感じは、ちょうど喉がカラカラになっているところに注ぎ込むおいしいお水みたいなものだったなと思います。

長期の休みが近づくと、実家から「帰ってこい」と催促の電話がしょっちゅうかかってきました。本当は帰りたくない気持ちを抑えつつ、仕方ないので1週間くらい帰るのですが、最後のほうになるとつい「そろそろ(一人暮らしの部屋に)帰らないと」と言ってしまって…。「帰るじゃなくて戻る、だろ?」と叱られながら「あ、わたしの場所はここじゃないんだ」って思ったときの解放感といったら…!でもちょっとだけ、罪悪感みたいなものもありました。

サライじゃなくて遠く遠く

その罪悪感を増幅させたのが「サライ」という歌でした。いつかの24時間テレビでこの歌ができて、それ以降24時間テレビといえば「サライ」を合唱っていうのが鉄板になった。泣きながら歌っている人・聴いている人をみると、人によってはグッとくる歌なんだろうなと思います。でも、わたしはとても苦手です。

こうであるべき〜っていわれている気がしちゃうんですよ。ふるさとっていうのは帰りたくなる大事な場所だよね。うんうんそうだよね。一度は捨てて出て行っちゃったけど、今はまだ胸張って帰れないけど、いつか帰りたいって思ってる。うんうんそうだよね。わかるわかる。…って言えないわたしは冷たい人間なんだろな。人に言ってはいけないことなんだろなって。

そういうわけで、サライだけでなく、他の歌やテレビ番組、小説などなど、「ふるさと最高」「地元最高」っていうメッセージが強いものは今でも苦手です。

そんなわたしの心の支えとなったのは、槇原敬之さんの「遠く遠く」。地元に顔がみたい友達がいるわけじゃないけど。手紙をくれる友達がいるわけじゃないけど。自分が生きる場所は自分で決める。この街で夢を叶える。そんな歌詞にどれだけ救われたことか。

大学進学を機に家を出て、夫と出会って結婚し、神奈川に移り住み、子供が生まれ、現在に至るわけですけど、親が選んで住んでいるこの地域が、子供たちにとって最高の地元になるかどうか全くわかりません。そうであってほしいという気持ちもあんまりない。

今はむしろ、どんどん外に目を向けて世界は広いんだということを感じてほしい。この小さなコミュニティに愛着がもてなくても全然かまわない。悲観することなく、自分が自分らしく輝ける場所を探してほしいと思います。

まとめ

家族大事、地元大事、友達大事っていうメッセージはそこかしこに当たり前に散りばめられています。国語の教科書にも、絵本にも、道徳の授業にも、校長先生の講話にも。とても大切なメッセージだと思うし、それが多くの子供達に向けたものである以上、シンプルで正しい言葉が使われるのは当たり前なんだろうと思います。

もちろん家族が好き、地元が好き、友達大好きって思えるほうがいい。嫌いなものが多い人生より、好きなものがいっぱいのほうがいい。でもわたしは、今いる場所でそう思えなくても心配しなくていいよと言ってあげられる大人でいたいなと思います。多くの人にとって正しいことを言ってくれるひとはたくさんいるから、わたしは「地元が好きじゃなくてもいいじゃない。大人になったらいきたいところにいけるようになる。そのために今は勉強して、運動して、大人になったら働いて、お金かせいで…いろんなところに行ける力をしっかりためよう」と言いたい。

ひと言で言うなら、どちらがどうということじゃなく、どちらだっていいじゃないかっていうお話でした。



おしまい。

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