がんばるブラザーズ

中学生と小学生の家庭学習やサッカーの記録。

傍観者=加害者とはどうしても思えないのです

3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)

少し前にこんな記事を書きました。

この記事にいただいたブコメの中で印象的だったのがこちらです。

"危ない感じっていうのは見ていれば分かるから、そういうときは近寄らないようにしてる"と11歳の長男が言った - がんばる小学生

長男くんの気持ちはすごくわかる。賢くて素直でとてもいい子だなあと思う。でもこの処世術を「傍観者もいじめっ子と同じ」という理屈で否定されたら、なんと言えばいいんだろう。

2016/03/10 12:08

実はこの記事を書きながら、きっとこういう意見も出てくるだろうなと思っていました。なぜなら、わたし自身がそれをとても気にしていたからです。

長男がとっている「危ない感じがするときは近寄らないようにしている」という行動は、言い換えれば「関わらないようにする」ということ。関係のない場所に身をおくということは、いじめから目をそらすということにつながるかもしれません。

いつの頃からか、いじめについて語るときに「傍観者=加害者」という図式が当たり前のように示されるようになりました。いつからそう言われてきたのかわかりませんが、少なくともわたしの中でそれが当然の認識としてあったのは確かです。

傍観者という言葉をただ見ているだけの人、何もしない人という風に解釈すると、長男はすでに傍観者なのかもしれません。でも、わたしには彼が加害者であるとはどうしても思えない。あえていうなら、被害者なのではないかと思っています。

小さい頃は意気揚々と正義を教えていたけれど

子供たちが幼稚園くらいの頃も程度の差こそあれ、いじめはありました。「からかい」や「仲間はずれ」がメインだったと思います。

当時のわたしは「この子たちはまだ小さいからしていいことと悪いことがわからない」だから「そんなことしたら嫌な気持ちになるよ、と教えてあげなくては」と思っていました。そして、子供たちにはいじめられている子をみたら「そんなことやめようよって言おう」と言っていました。もちろん自分がやられたときには「やめてと言おう」と。

でも、小学校に入り、1年、2年…と学年が上がるにつれて様子が変わっていきます。

注意されても叱られても、何度も何度も同じことを繰り返し、だんだんやることがエスカレートしていく子。先生をはじめとする大人の前ではいい子を演じる要領のいい子。その子たちの親の多くは、たとえ苦情がきても我が子の悪事を認めず逆ギレする。

もしかしたらわたしは間違っているのかもしれません。でも、今のわたしはいじめの中心となる子に対して注意しなさい、立ち向かいなさいとは言えなくなってしまいました。

大人だって難しいことを子供に求めるの?

いじめている人に向かって「やめなよ!」と言ったり、いじめられている人をかばったりするのは難しいことです。次はお鉢が自分にまわってくるかもしれないから。3月のライオンのひなちゃんみたいに。ひなちゃんは傷つきながらも立ち向かいました。でも、誰もがひなちゃんになれるわけじゃない。誰もがひなちゃんにとっての零くんのように、支えてくれる理解者がいるわけではないし、心底心配してくれる家族がいるわけでもない。そして、あんな風に悪い流れをぶったぎってくれる先生が現れるともかぎらない。

大人の世界にもいじめはあります。会社、インターネット、ママ友…自分の身の回りでいじめられている人がいたとして「やめなよ」と言える人がどのくらいいるんでしょう。ひなちゃんになれる人がどれだけいるでしょう。わたしはひなちゃんになる自信がありません。

大人だって難しいことを小学生の子供たちに求めるほうが無理があるのではないか。わたしはどうしてもそう思ってしまいます。だから、たとえ傍観者といわれても「危ないと感じたら近寄らない」という長男を咎める気持ちにはなれないのです。

傍観者は本当に加害者なのか?

傍観者とひとくちにいっても、実際手や口は出さないけれど気持ちとしては加害者よりの人、全く関心がない人…いろいろいます。行動としてはみんな同じ「何もせずに見ているだけ」だとしても、その行動にいたる思いは人それぞれ違う。

傍観している子供の中には、傍観したくてしているわけではない、本当は助けたいけどターゲットが自分になるのが怖い、だから傍観せざるをえないという子もいます。明日は自分の番かもしれないとビクビクしながら学校に通っている子もいます。いじめさえなければ、そんな思いもそんな行動もとらずに済んだのに。それなのに全部ひとまとめにして「傍観者は加害者と同じだ!」というのは乱暴すぎると思うのです。

長男の行動は確かに傍観者の態度かもしれない。でも、一方で加害者にならないための自衛策でもありました。どういう過程をへてその答えにいたったのかわかりませんが、行き着いた先が「長いものに巻かれる」のではなく「その場から離れる」ことでよかった。

だからわたしは、「傍観者もいじめっ子と同じ」という理屈で長男の行動を否定されたとしても「あなたはいじめっ子と同じではない。それでいいんだよ」と言います。自信を持って、明確な根拠を持って言えるわけじゃないけれど、それでも「それでいいんだよ」と言いたいです。

おわりに

わたしにできることってなんだろう?子供たちに何ができるんだろう?情けない話ですが、どうしたらいいのかわからないのが正直な気持ちです。

今のわたしができることといったら「どうしたらいいんだろう?」「子供たちは何を感じ、何を考えているんだろう?」「どうしてこんなことをしてしまうんだろう?」と考え続けることだけ。そしてそれらを子供たちと話し合うだけ。それがなんの足しになるのか?それさえもわかりません。断言できることはなんにもない。

でも、とりあえずできることをやるしかないので、今考えていることを書いてみました。これから先も自信を持って「こうだ!」と言える日がくるとは思えないけれど、自分なりに考え続けていきたいと思っています。

最後にこちらのリンクを一応ぺたっと。

d.hatena.ne.jp



おしまい。

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