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がんばる小学生

サッカー少年の家庭学習と本の記録

小学校での生い立ち授業や1/2成人式に思うこと (2)

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ぶたもいいけど、そろそろ人間になりたいと思っている、とんははです。


今年のはじめに自分の生い立ちに関する記事を書きました。 gambaruko.hatenablog.com

この記事を書いてみて、1つはっきりと自覚したのが、祖父が毒爺?毒じじい?だったということ。あんまりそこを意識したことがなかったので、ちょっと新鮮な発見でした。息苦しさや恐怖はずっと感じていたけれど、それに慣れてくると、ちょっと息をするのが楽になったときの喜びを大事にするものです。そして、なるべく波風を立てずに、なんとか無事に1日が終わりますようにと、祈るような気持ちで過ごす。外部からの刺激はなるべく自分でせきとめて、家庭内に影響が出ないようにと画策する。当時のわたしは、ほかに家族を知らないのでその生活を当然のように受け止めていました。知らないからこそできたんだなぁ。知った今となっては、あの頃に戻って同じ生活するなんて無理だなぁと思います。

そんな思いを踏まえて書いたのがこの記事。 gambaruko.hatenablog.com

今日は1/2成人式についての続編です。

わたしが10歳のときに、もし1/2成人式があったとしたら。もしかしたら、今のわたしが思うほど、当時のわたしは苦痛を感じなかったかもしれません。「父親代わりにわたしがしっかりと孫をみていかなければと思っております」というのが決めゼリフだった祖父は、きっと母や父の代役を立派につとめてくれたはず。周りのお母さんたちも「あのおじいちゃんでしゃばりね」「でも、校長先生だったそうだから」「ああ、どおりで」と受け止めてくれたんじゃないかなと思います。全部想像ですけど。

わたしの祖父は、家では毒爺でしたが、外では「孫思いの厳しくて優しい立派なおじいちゃん(元校長)」でした。まさか孫に向かってモラハラめいたことを日常的に行っていたとは誰も想像しなかったんじゃないかと思います。「厳しい」という言葉はとても便利なもので、電話をとりつがない、遊びにいかせない、誘いを勝手に断るという行動さえも、その一言で片付けることができる。それについてわたしがどう感じていたかというと、「ひどい!」と誰かに共感してもらうことよりも、「厳しい」と認識してもらったうえで、どうか波風を立てないでくださいと思っていました。電話なんかしてこないで!遊びになんて誘わないで!そんな風に思ってました。電話してくれるのは嬉しいです。遊びにだって行きたい。でも、それよりも家の中が穏やかであることの方が大事でした。そのためには「厳しいおじいちゃん」という周囲の認識が必要だったし、それに助けられていた面もあったんじゃないかなと思います。

いかに普通であるか、いかに普通にみられるか。そればかり気にして明るくふるまっていたので、先生達はほとんどわたしの闇に気づかなかったと思います。抱えている事情については把握していたとしても。わたしが抱えていた問題に気づいて行動にうつした先生は、小学校から高校までの12年間でたったの1人、高3のときの担任の先生だけでした。とはいえ、母が夜遅くに電話をして迷惑をかけなかったら、その先生も気づかないままだったんじゃないかなと思います。それに、その先生が気づいたのは母の病気についてであって、祖父の異常さについてはやっぱり誰も気がつかなかったんじゃないかなと。

わたしが言いたいのは、こういう問題は表面化しにくいということです。毒を振りまく人たちはもちろん、毒を受ける子供の方だって、なるべくなら醜態は晒したくない、気づかれたくない、そっとしておいてほしい。そんなことで光を浴びたくはないですから。もちろんそれで何かが解決するわけじゃないこともわかってる。

じゃあ、問題が表面化したらどうなったんでしょう?家族以外で一番身近な大人である先生たちが気づいてくれたとして、その先生たちに何ができたんでしょう?わたしは何を望んだだろう?そのへんがうまく想像できません。どうしても頭に思い浮かぶのは「そっとしておいてほしい」ということだけ。学校や先生に対して、期待も、希望も持ってなかったし、何もしてくれなくてよかったとすら思います。間違ってるかもしれないですよ?ゆがんでるかもしれないです。でも、それが正直な気持ちです。

ねむれないさめさん(id:nemurenai-same) の記事を読んで、1/2成人式についてそういう受け止め方もあるんだなと思いました。

nemurenai-same.hatenadiary.jp

自分の子供の頃も、こんなシステムがあったら、自分の母親も少しは変わったかもしれないんじゃないか、ということ。

小学校の2分の1成人式について思うこと - 感想文

そして何より、自分の体験をとおして、こう思えるところ。実際に変わるか変わらないかじゃなく、「こんなシステムがあったら、自分の母親も少しは変わったかもしれない」と思うところに、さめさんの思いが表れている。わたしにはそう思えました。

それに、先生たちからのそんなメッセージが込められているとしたら、それをきっかけに関係が好転する親子もいるかもしれない。わたしには全くそんな視点がなかったから、この記事を読めてよかったなぁと思いました。

それでもやっぱり、学校行事として一人一人が親への感謝の手紙を読み上げるような1/2成人式のやり方には反対です。多分ね、きっとみんなうまくやると思う。つらい気持ちをどうにかする方法は、多分他の子よりもたくさん持ち合わせていると思うから、何事もないようにやると思うんです。でも10歳はまだまだ子供。彼氏彼女に支えてもらう年でもない、他に逃げ場があるともかぎらない、家と学校、施設と学校が生活のほとんどという子供たちに、家族の現実をつきつけることはやめてほしい。感謝の気持ちを手紙に綴るのはいいと思うんです。でもそれを、みんなの前で発表する必要はない。わたしはどうしてもそう思ってしまうのです。

おわりに

考え方は人それぞれです、という締めは投げやりかもしれません。でもやっぱり人それぞれだよなぁと思います。そして、その「それぞれ」というのは、外からは見えにくいところにしまってあるものじゃないかなとも思います。

今つらい気持ちを抱えている10歳の子にわたしが言えるのは、とにかく生きてほしいということ。生き延びて、大人になってほしい。それから、勉強していて怒られることはあまりないから、未来の自分のために勉強をがんばってほしい。本を読んでいろんな考え方や世界にふれてほしい。図書館へ行けばいつだってたくさんの本が読める。絶対にそれが役に立つ日がくる。役に立ったわたしがここにいます。そして、さめさんみたいに、心から子供たちのすこやかな成長をのぞんでいる大人がいるということも知っていてほしいなと思います。

それに、こうやって声をあげることで「こうしたらいいんじゃない?」「こういう方法もあるんじゃない?」っていうアイディアが出てくるかもしれない。そういう意味でも、言及しあって意見を交換できることには、大きな意味があるんじゃないかなと思いました。


おしまい。

▽ 過去記事 gambaruko.hatenablog.com gambaruko.hatenablog.com gambaruko.hatenablog.com