がんばるブラザーズ

中学生と小学生の家庭学習やサッカーの記録。

小学校での生い立ち授業や1/2成人式に思うこと (1)

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わたしが子供の頃は、幼稚園だけでなく小学校でも「父親参観日」というのがあった。だいたい父の日あたりに設定されていたと思う。お父さんに関する作文を書いたり、お父さんの絵を描いたりして発表して、威勢のいいお父さんが大きな声でコメントをして笑いが巻き起こる、そんな雰囲気の参観日だった。わたしには父はいなかったけれど、クラスメイトの作文を聞いても、お父さんと話している姿をみても、特になんの感情もなかったし、むしろおもしろく感じていた方だと思う。たとえ自分にとって「お父さん」という話題がタブーだったとしても、そのすべてを拒否したい気持ちになっていたわけではないしね。もちろん、作文に書くことなどひとつもないし、父親の顔すら知らないんだから絵なんてなおさら描けない。でも、わたしにとってそれらのことはまだ我慢出来る範囲内のことだった。

我慢ができなかったのは、自分にマイクを向けられたとき。話したくないのに話せと言われたとき。中1のとき、「書ける範囲でいいから書いて」と言われて、父への恨みや自分の苦悩(といってもほぼフィクション。本当の苦悩など書くわけがない)を適当に盛り込んで美談にまとめた作文が、市内全校に配られる冊子に掲載されたことがあった。その冊子を、記念にと親に渡した担任のことを、わたしは絶対に忘れないと思う。

こんな感じで、学校生活の中では「え!?」と思うことがわりと起きる。そして、それらは子供同士のやりとりだけでなく、先生たちの言動によって引き起こされることも多い。今日は、これから準備が大詰めを迎える「1/2成人式」や、小2の子供たちが取り組むであろう「生い立ち授業」について思うことをつらつらと書いてみようと思う。

1/2成人式

わたしが子供のころは、このような式はなかった。概念すらなかったと思う。ところが、最近では多くの小学校でこの1/2成人式が行われているようだ。子供たちの通う小学校でも毎年大々的に行われている。子供たちによる誓いの言葉や歌、親への感謝の気持ちを込めた作文などが発表される式典で、多くの親達は涙を流して子供の成長を喜ぶ。わたしだって表面的にはその親達となにも変わりはない。複雑な思いを抱えていたとしても、わざわざそのおめでたい式典に水をさすようなことはしない。

だけど、これが自分だったら、と考えてしまうのだ。子供たちが通う小学校には、児童養護施設から通っている子だっている。自分のような境遇で悩む子だっているかもしれない。それなのに、「今の自分があるのは両親がいたから。両親への感謝の気持ちを伝えよう!」と一律に求めるのは、乱暴なんじゃないか。

そう思っていたときに目にしたのがこの記事だった。

bylines.news.yahoo.co.jp

bylines.news.yahoo.co.jp

わたしが言いたいことのほとんどすべてがここに凝縮されている。

1/2成人式が悪いわけではない。10歳という節目の時に、これからの自分の未来を思うことはすばらしいことだと思う。でもそこに、家族をからめる必要が本当にあるのか。学校関係者の方々にはもう一度考えてみてほしいと思う。わたし自身も、去年1/2成人式が終わったあとに、感想文の中でそのことについて言及した。先生からの個別の返事はなかったけれど、ひとつの意見としてでいいから取り上げてくださっているといいなと思っている。

小2で行われる生い立ち授業

去年、小2だった次男のクラスでは生い立ち授業というものがあったようだ。それに際して、次男に「ぼくの名前の由来を教えて」そして「赤ちゃんの頃の写真を貸してほしい」と頼まれた。そんなものがあるんだなと思いながら、由来を話して、赤ちゃんの頃の写真を渡したけれど、これは各家庭で等しく用意できるものなのだろうかと不安な気持ちになった。毎度のことではあるが、自分だったらと考えると、用意できない子だっているのではないかと思ったからだ。

わたしだったらまず、のんきに「由来を教えて」ということすらできなかったのではないかと思う。そして赤ちゃんの頃のアルバムなどなかったわたしは、持っていく写真1枚用意することすらできなかったはずだ。クラスの子供たちの大半がそれらを持ってきて、わいわいと見せ合いっこして、授業で「しあわせなこと」として取り上げられる。その光景を思い浮かべただけで、胸がぎゅっとなる。

www.at-s.com

生い立ち授業の目的が、この記事に書いてあるように

「これまでの自分の歩みを振り返ることで自身の成長を実感し、今後につなげていく」

ことなのだとしたら、「名前の由来」や「赤ちゃんの頃の写真」などではない他の方法でも十分アプローチできるのではないか?いや。むしろ違う方法を考えてもらいたいと思う。

おわりに

前回まで「統合失調症の母を持つ子供」という話を5回にわたって書いてきた。その中で紹介した以下のツイートのようなことは、学校生活の中で掃いて捨てるほどたくさんある。

これらひとつひとつに対して、「もっと気をつかってほしい」「注意してほしい」というつもりはない。もし伝えるなら、ブコメでもいただいていたように、ひとつの感想として伝えるだろうなと思う。批判ととられないように伝えるのはかなり難しいけど、いろんな境遇の子がいるんだという感覚が、実際にあがってくるひとつひとつの声から育っていくものだとしたら、がんばって伝えてみようかなという気もする。それも、わたしにできることのひとつなのかな、と思う。

おしまい。

※ファミリーツリーはアメリカの学校で宿題として出されることもある、いわゆる家系図。家族の写真とか紹介を書き入れて、1本の木にするそう。

▽ 過去記事 gambaruko.hatenablog.com gambaruko.hatenablog.com gambaruko.hatenablog.com