がんばるブラザーズ

中学生と小学生の家庭学習やサッカーの記録。

統合失調症の母を持つ子供の話 (2)

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今日は仕事始めだった。あれだけ心の準備をしていたのに、蓋を開けてみると誰もその質問をしてくる人はいなかった。ホッとしたような、拍子抜けしたような。でもまだまだ始まったばかり。油断するのはまだ早い。

▽ これまでの話 gambaruko.hatenablog.com

今日は、わたしが子供だったころの話をしようと思う。

教師をしていた母

母は教師をしていた。何度も休職を繰り返していた記憶があるので、教師として働くのは相当な苦労があったのではないかと思う。度々休んだり、トラブルを起こしたりしていた母が教師でいられたのは、同じく教師だった祖父*1が、持てる政治力を十二分に発揮して全面的にサポートしていたからだろう。そのあたりの大人の事情はよくわからないけれど「おじいちゃんが家族みんなをコントロールしている」という感覚だけは、しっかりと残っている。

小学生の頃の母のイメージは、仕事に行っているか、薄暗い自室にこもって布団にくるまって寝ているか、そのどちらかだ。一緒に話をしたり、お風呂に入ったり、出かけたりするのは、1年に数回あるかないかの、ものすごく貴重なことだった。時間的に難しかったわけではなく、母の調子的に難しかったんだと思う。仕事が終わって帰ってくると、祖母やわたしが作ったご飯を食べて、自室にこもってテレビをみる。話しかけてもこちらを見てくれることはなかった。母の目はわたしじゃないどこかに、いつも向けられていた。

「お前が心配をかけるからお母さんはこうなるんだ」

定期的に不調の波がやってきた。そういう日は朝から家の空気がどんよりとしているのですぐにわかる。パジャマのままで、髪の毛はボサボサ。しくしく泣きながら「仕事にいけない」と祖父に訴えている母の姿は、わたしを不安にさせた。見てはいけないものをみているようだった。そして、追い打ちをかけるように、祖父がこういうのだ。

「お前が心配をかけるからお母さんがこうなるんだ」

わたしのせいなのか。わたしが悪いからお母さんは泣いているのか。わたし、なにかしたっけ?わからないけど、おばあちゃんも黙ってわたしをみているから、きっとそうなんだろう。違うんだったらきっと違うっていってくれるはず。家族みんながわたしのせいだというのなら、わたしのせいなんだろう。何がいけなかったのかわからないから、お母さんの具合が悪くならないように、話しかけるのはやめておいた方がいいんじゃないか。

そして、このことはきっと心の中にしまっておくべきことだ。友達にも先生にも知られてはいけない。家族で一致団結して隠しとおさなければならない。笑っちゃうけど、その頃のわたしは真剣にそう思っていた。

同級生のお母さんたちとの違い

祖父はわたしが同年代の子供たちとふれあうのを嫌がった。放課後遊びに行くことも、友達のお家に招かれてお邪魔することも、全部勝手に断ってしまうような人だった。小学生のわたしに「友達を簡単に信じるな」と言ったのも祖父だ。祖父が亡くなった今となっては、言動の真意はわからないけれど、祖父には祖父の大きな闇があったんだろうと思う。

それでも奇跡的に誕生会などに出席できたとき、わたしがどんな気持ちだったか想像できるだろうか。ここはなんて明るいんだろう。お母さんと気軽に、気安く、ぽんぽん話せて、ちょっと憎たらしいことも言えて、ケラケラ笑って、すごいなぁ。天国みたいだなぁ。そんな気持ちでいっぱいになった。

でも不思議なことに「うちもこうだったらいいのになぁ」とは思わなかった。思えなかったのかもしれない。叶うわけがない夢はみるだけでもつらい。

心療内科への付き添いが嫌だった

祖父はおそらく、自分の娘が精神病ということを受け入れられなかったのだろうと思う。母が通っていた心療内科は、実家から車と電車を乗り継いで1時間以上かかる街にあった。それはきっと、人目につかないように。不特定多数の人に知られないように。そんな思いが強かったからだろうと思う。

定期的に通院していた心療内科に、一緒に連れて行かれることが何度もあった。祖父と、母と、わたし。わたしはそれがものすごく嫌だった。心療内科の待合室が大嫌いだったのだ。パイプ椅子が並べられて、受付順に座る。自分の隣にブツブツ何かつぶやいているおじさんが座ったりすると、いてもたってもいられない不安な気持ちになる。そんなときは、身をかたくして本棚をじっと見つめた。五木寛之と書いてある本がある、おみそれしましたっていう本がある。おみそれってなんだ?そんな風に気持ちを本棚に集中させてやり過ごした。

一度だけ祖父に聞いたことがある。「なんでわたしも行くの?」と。祖父は「こういう病院に来なければいけないお母さんをみれば、心配かけられないっていうことがよくわかるだろうが」と言った。そんな祖父だったけれど、帰りにはいつもハンバーグを食べさせてくれた。わたしがハンバーグを好きなのはそれでだと思う。

大好きだけど恥ずかしい

そんな母だったが、子供の頃のわたしは母のことが好きだった。母が笑ってくれるとうれしかったし、手をつないでも振り払われないときなんて思わず走り出しそうなくらい幸せだった。母にもっといろんな話がしたかったし、テストで100点とったよとか、学校でこんなことがあったよと言いたい気持ちはもちろんあった。でも、何が引き金になるかわからない。自分が発する言葉の何がきっかけで具合が悪くなるかわからない中で、わたしにできるのは黙っておくことだけだった。それでも、時々そうやって笑ってくれるから、それでよかった。

ただ、それと同時に、わたしの心の中には母のことを恥ずかしく思う気持ちもあった。なんだかよくわからない病気で苦しみ、ボサボサの格好で仕事に行けず泣いている母を、人にはみせられないと思った。そして、大好きな母のことをそういう風に思う自分は悪い子だなと思っていた。だから、母は具合が悪くなるんだなと。

まとめ

今回書いたのは、わたしが小学生だった頃の話。実はこの頃、学校ではひどい仲間はずれにあったり、無視されたりしていたけれど、先生にも言わず、もちろん家族にも言わず、じっとひとりで耐えた。先生にバレれば家に話がいく。そうすれば、祖父に叱られる。「心配かけるな」と言われる。母に知られれば、母はきっと心配して具合が悪くなるだろう。そうなるくらいなら、黙っていよう。

自分でいうのもなんだけど、なんと健気な小学生だろう!と思う。もう少しわがままになれたらよかったのに、と。

次回は、思春期以降の話が書けたらいいなと思う。少し時間がかかるかもしれないけど。

それから、前の記事にブコメをくださったみなさま、ありがとうございました。

id:yakanika2 さま

コメントありがとうございます。そんなことは絶対にありません。わたしの父は母のことはもともと遊びで、本気で結婚しようとは思っていなかったそうです。結局、母がわたしを妊娠している間に、他の女性を妊娠させてそちらの女性と再婚したと聞きました。もし、父が母のことを理解してサポートする気持ちがある人だったなら、祖父がもう少し世間体より自分の娘の幸せのことを考えてあげられる人だったなら、わたしはもっと違うことが書けたんじゃないかと思います。

id:vanillayeti さま

コメントありがとうございます。コメントを読んで、涙がぽろぽろ出てきてしまいました。救われました。ありがとうございました。

id:hatomugicha さま

コメントありがとうございます。障害年金は13年前から受給しています。多少の蓄えもあるようで、経済的な心配をしなくて済んでいるのはとても幸せなことだと思います。心配してくださってありがとうございます。

id:dekunobouchang さま

コメントありがとうございます。姪っ子さんのことがわたしも心配です。怒ってはいけないと思う気持ちよくわかる…。でもその怒りは必ずどこかで違う形になったり、違う怒りになって現れるから、あまりためないほうがいいのにって思います。具体的なことが何も言えなくてごめんなさい!

id:santasantasan さま

コメントありがとうございます。とんでもないですよ。もちろん恨む気持ちはあるんです。でも、恨みつづけるのも大変で。周りには恨まれますが、自分が恨まずにすむ距離を今は保っているだけなんです。

id:sakurako_nya さま

コメントありがとうございます。病識がないっていうのは本当につらく大変なことですよね。良かれと思っていったことも、したことも、母にとっては迷惑なはなしだったようで。何度も罵られました。病人扱いするなって。わたしにもっと書く技術があればよかったんですけど、駄文で申し訳ないです。

▽ 統合失調症の母を持つ子供の話 (3) gambaruko.hatenablog.com

おしまい。

▽ 過去記事

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*1:地域では有名な人だった